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ロードバイクツーリング(お気楽編) ブログトップ

横井小楠記念館、四時軒に行ってみた。 [ロードバイクツーリング(お気楽編)]

熊本に住んでいるとこのCMよく見ます。



気になったので 小楠公園、横井小楠記念館、四時軒に行ってきました。

意外と近くにありましたのでお気楽サイクリングで。(とはいっても往復で30kmくらい。^^;)

幕末の政治家、思想家です。坂本竜馬が歴史を動かすような大きな仕事をしますが、その思想のヒントを与えた人です。

小楠公園の銅像。
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お墓。でも中身は遺髪だそうです。
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横井小楠記念館と四時軒は隣接してます。入口の前にて愛車とともに。ここに来るまで結構道が狭かった。
自転車でちょうどよかった。車で行く時は気を付けてください。
幟が風で反対になっちゃいました。横井小楠は1809年生まれなので、一昨年が生誕200年ですね。
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横井小楠記念館。中は写真撮影ご遠慮くださいとのこと。残念!!
小楠に関する貴重な資料が展示してあります。
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「国家は富むだけではいけない、また軍備を増強するだけでもいけない。地球上で一番大切なのはお互いにその立場を認め合い、お互いを許す寛容な心がなければならない。」(国是三論)

斬新な思想ゆえに命を狙われ、暗殺されてしまいます。

この人の事知らないことが多いので、もう少し調べてからもう一回行ってみようかと。
今日本は色々大変ですけど、新生日本のヒントがこの人の考え方に隠れているかも。
今こそ偉大な先人の知恵を借りる時!!

四時軒は横井小楠の旧居です。四時軒の中の座敷。
坂本竜馬が3回訪れたところです。座布団に座らせてもらいました。ちょっとした歴史ロマン。

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四時軒には小楠ってこんな人みたいな説明書きパネルがありました。かなり酒癖が悪かったそうです。


開館時間: 9:30~16:30
休館日:月曜日 (祝日の場合は翌日) 12/19~1/3
入館料: 高校生以上 200円、小中学生 100円、熊本市内の小中学生、65才以上等は無料
所在地:熊本県沼山津1丁目25-91
TEL:096-368-6158




近くには江津湖公園もあってサイクリングもなかなか良いですよ。


今回も読んでいただきありがとうございました。
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鼓楼と愛車と防人と [ロードバイクツーリング(お気楽編)]

お気楽サイクリング、自宅から熊本山鹿の鞠智城(きくちじょう)に行ってみました。

片道22kmくらい。運動不足の体には往復 44kmはきつい。(><)

良く写真は見ますが、元々熊本の人ではないので実態が何なのか全く知りませんでした。
http://www.kofunkan.pref.kumamoto.jp/kikuchijo/info/

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***以下パンフレット、温故創生館(博物館)の展示より***
なぜ鞠智城は作られたのか?
鞠智城は、7世紀後半(約1300年前)に、大和朝廷が築いた山城です。当時東アジアの政治的情勢は、非常に緊張していました。日本は友好国であった百済を復興するために援軍を送りましたが、663年の「白村江の戦い」で、唐と新羅の連合軍に敗北しました。このため、自体は急変し直接日本が戦いの舞台となる危険が生じました。そこで九州は大宰府を守るために大野城(福岡県)、基肄(きい)城(佐賀)、金田城(長崎)がつくられました。鞠智城はこれらの城に食料や武器、兵士などを補給する支援基地でした。

シンボルの「鼓楼」って???
最上階の三層目に置かれた太鼓で城内に合図し時間を知らせたり、見張りの役目をはたしました。

建物の右下のちっこいのは、僕の愛車。鼓楼って 結構でかい。
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どうして八角形なの???
平成3年度の発掘調査により、現在、復元されている建物の南北両側に2棟の不思議な柱列跡が見つかりました。それは、芯柱を中心に掘立の柱跡が八角形に二重、三重にめぐるものでした。現在、遺構明示を行っている場所が、実際に建物跡が見つかった場所です。この八角形建物跡は、国内の古代山城では他に類例がなく、中国や朝鮮半島での文化の影響を強く受けている事が推定されます。実際同様の遺構は、韓国の二聖山城(但し、礎石建物です。)にも残っています。八方位を宇宙の象徴とする、道教の宇宙観の影響があると思われます。

いつ復元されたの???
発掘調査で発見された2棟の八角形建物跡のうち、南側の建物跡を平成11年に復元しました。その際に遺構を傷つけないように、場所をずらして南北の遺構の間に建物を復元してあります。建物の高さは15.9m。屋根の瓦の総重量は76tにもなります。三層造りで、一層目に49本(芯柱を含む)二層、三層目に16本ずつの柱があり、屋根の重みで建物本体ががっちりと支えられています。中心部を突き抜ける芯柱は最上部のみで接合していますので、「やじろべえ」の軸の様です。そのため、地震の際は揺れを吸収して、絶妙なバランスを保つことが出来ます。そうすることで建物の倒壊を防ぐ塔建築の技術を再現しています。建物に使用している木材はすべて県産材で、そのほとんどは檜を使用しています。
発掘時の写真。
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建物の中はこんな感じになってた。柱で埋め尽くされてます。
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以下模型で内部の説明。
「芯柱に建物の重みはかかりません。飾りのようですが、地震の際に揺れを吸収します。」
確かに芯柱にくっついていない。
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登れないの???
この建物には階段がなく、必要に応じて梯子で上り下りするだけです。普段は安全面から皆様の建物内部への立ち入りを禁止しておりますが、毎年5月のゴールデンウィークのイベント開催時に二層目まで足場を組んでいますので、その際是非上ってみてはいかがですか?毎年賑わっていますよ。

その他の復元建物
米倉。釘を使っていないそうです。
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兵舎
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武器庫かも
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立地と構造
鞠智城は標高約140~160mの米原台地に築かれています。台地は南側を除く三方を八方ヶ岳の山塊とその支脈に囲繞されており、完全な防御地形の中にあります。また、開口部の南側も菊地平野とは100mに及ぶ標高差があり、築城に際してかなり選地がなされていたことが分かります。城域は外城と内城に分けられ、内城が真の城域と考えられます。内城は周囲約3.4kmあり、そのほとんどが土塁線・崖線によって形成されています。
土塁とは鞠智城を取り巻く痩せ馬の背中の様な地形をした尾根を削ったり、土を盛って固めた人工の土壁です。約1300年経った現在でも調査により西側土塁線、南側土塁線や深迫地区などでその痕跡が明らかになりました。

見晴らしは結構良いです。確かに道中 自転車での最後の上り坂がかなりきつかった。(><)
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城壁について
・・・ 土塁を積むためには版築という大陸伝来の工法が採用されました。木板で囲いをつくり、中に土砂を入れて少しずつ突き固めていく方法です。こうすることで非常に強固な城壁が出来上がるのです。発掘調査では築土のほかに、木板を支える柱の穴や、土砂の流出を防ぐ列石も見つかりました。雨水による浸食を防ぐためのさまざまな工夫も見られます。城壁は城を守るためには欠くことの出来ない施設で、その構築に際しては、最新の技術が採用され、維持・管理にも細心の注意が払われました。

防人について
防人とは、「崎守(さきもり)」の事で、大陸に面する北部九州に配属されて防衛にあたった人達です。平時には2千人~3千人が配備されていました。任期は3年で東国(現在の静岡県、山梨県、神奈川県、千葉県、群馬など)から徴兵されました。その際、武器・道具などに関しては自前で用意せねばならず、また、故郷から集合地である難波までの旅費も自己負担であったので、経済的な負担は相当なものでした。北部九州上陸後は各地に配属され主に軍務に従事しますが、自給自足の為、開墾作業や農作業にも従事していたと思われます。
⇒ 逃亡を防ぐためにあえて九州から遠いいところから徴兵したそうです。

緊迫感あります。
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以下「温故創生之碑」鞠智城跡のモニュメント
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以下が彫られています。
・防人
・防人の妻子
・憶礼福留(おくらいふくりゅう) 鞠智城の築城を指揮したと思われる百済の貴族
・巫女
・鳳凰

普段の生活
鞠智城には、数多くの防人が駐屯し、有事の際に備えていたものと思われます。彼らは普段どのような暮らしをしていたのでしょうか?鞠智城ではその暮らしぶりを物語る遺物が出土しています。食べ物を盛る皿や坏、酒を注いだ平瓶などの食器類に加え、米を蒸す為の道具である甑(こしき)の把手、あるいは煮沸用の壷といった調理具も出土しています。遺構としては見つかっていませんが、城内の食事を担う竃(かまど)や炉等の調理場がかつては存在していたのでしょう。また、藁(わら)や動物の皮を叩くための横槌や、糸を巻きつける木錘という紡織具、漆を入れる容器ほか、各種作業道具も見つかっています。彼らは自らの衣服、備品も自前で製作、修繕していた可能性が高いようです。防人たちは、訓練や見張り、土木作業以外にもこうして数多くの仕事をこなしていたようで、一見平穏に見える鞠智城での日々も、実は忙しく過ごしていたのかもしれません。

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大変勉強になりました。m(_ _)m
結果として全然お気楽ではありませんでした。(^^;

防人の方々はどんな思いで任務に就いたのでしょう。。。
決して優遇されたわけではなさそうで、モチベーションはなんだったのでしょう。
ちょっとかわいそうですね。

そういえば最近こんなのやってた。
地方のニュースでやってたのですが、ようやく意味が分かりました。なかなか面白い企画です。
http://www.ustream.tv/channel/signalfire

国史跡 鞠智城
熊本県立装飾古墳館分館 歴史公園鞠智城・温故創生館

〒861-0425 熊本県山鹿市菊鹿町米原443-1
TEL 0968-48-3178

温故創生館
開館時間 / 9:30~17:15(入館は16:45まで)
休館日 / 月曜日(但し、祝祭日の場合は翌日) 12/25~1/4
入館料 / 無料
*ボランティアによる解説もあります。(見学日の2週間前までに要予約 無料)





今回も読んでいただきありがとうございました。
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城と愛車とお祭りと [ロードバイクツーリング(お気楽編)]

お気楽サイクリング

愛車に愛車を積んでみた。それなりにかっこいいけど、かなり目立ちます。
(≧▽≦)
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次はルーフボックスかな。頑張って働こう。

以下のようなもの発見。大分でお気楽サイクリング。
http://www.ogatakanko.com/outdoor/pdf/4h.pdf

道の駅 原尻の滝 ここ、レンタルサイクルで自転車貸してくれます。
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原尻の滝の周辺を回るコースです。
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でもちょっと物足りないので、岡城跡まで行ってみます。
難攻不落の城だそうです。本当に難攻不落かどうか体感する必要があります。

道の駅 原尻の滝から8kmくらいですが、小高い丘の上にあるので、ほぼ上りっぱなし。かなりきつい。
確かに攻め込むのは大変そうです。

荒城の月で有名なお城です。
http://www.city.taketa.oita.jp/okajou/




完全に色づくまでもうちょっとでしょうか。うーん残念。
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ここのパンフレットは巻物になってます。
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素敵なところです。桜の季節は間違えなくGood。

国道502号線の岡城跡のすぐ横当たり、緒方方面から竹田方面に向かう道路にこんな感じで道に溝が切ってあります。
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ん? メロディーの始まりって??
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この溝、溝の幅が音階になっていて車で通ると荒城の月が奏でられます。
通る際はカーステ止めてみてください。なかなか洒落た仕掛けです。

自転車で横を通るとドップラー効果のせいか雑音にしか聞こえませんでした。

(^^; 車で通ると良くわかる。

原尻の滝に戻ってきました。Goal !!!
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フライのショップがあります。このあたり釣りが出来そう。
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今回はTotal 35kmくらいでしょうか。

11/12,13は「緒方三社川越し祭り」です。
http://www.bungo-ono.jp/kanko/ogata/ogata_3sya.html

これ、800年続いてるらしい。すごい。

以下言われです。

緒方三社。それは久土知の一の宮社、原尻の二の宮社、上自在の三の宮社の3つです。いずれも、強度の武将 緒方三郎惟栄が建てたと伝えられています。一の宮社には仲哀天皇(父)、二の宮社には応神天皇(子供)、三宮社には神功皇后(母)が祭られています。川越し祭りは一の宮社のみこしと三宮のみこしが二の宮社に集まるものです。つまり、お父さんの仲哀天皇とお母さんの神功皇后が、子供である応神天皇のもとへ行き、3人で楽しく過ごすわけです。このとき、お母さんの神功皇后は川を渡らなければなりません。このみこしが、フンドシ姿の若者たちに担がれ、川を渡る姿は勇壮です。

確かに位置関係はそんな感じです。お母さんは川を渡らないといけません。
http://www.ogatakanko.com/outdoor/pdf/4h.pdf

今から800年前とちょっと前の事です。源頼朝の家来だった大友能直(よしなお)は頼朝から豊後国の支配を任されました。その能直にとって邪魔ものがいました。その邪魔ものとは郷土の武将緒方三郎惟栄(これよし)の一族、大野泰基です。泰基は朝地町の神角寺に立てこもりましたが、能直の兵、古庄四朗重能に見つけられ打たれてしまいました。ところがその後、原尻の滝で洪水や暴風雨が相次ぎました。緒方三郎惟栄の怒りだったのでしょうか・・・。
これから先に不安を抱いた大友能直は、原尻の二の宮社に緒方三郎惟栄と大野泰基の霊を祭ったといいます。これが川越し祭りの始まりと伝えられています。

なるほど。

夜の写真、お見苦しくてm(_ _)m

川の中の鳥居をおにいさんたちが神輿を担いでくぐります。夜の川って危なくないか?しかも寒いし。
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二の宮神社で一の宮のみこしと三の宮のみこしが並びます。
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もうひと踏ん張り
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で、奉納。無事 お父さんとお母さんと子供3人仲良く過ごしましたとさ。
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めでたしめでたし。

こういうローカルの伝統のお祭りも良いもんです。

ちょっと元気をもらいました。


読んでいただきありがとうございました。


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維新と愛車と凹道と [ロードバイクツーリング(お気楽編)]

雨は降る降る人馬は濡れる
越すに越されぬ田原坂

ということで本当に田原坂は越せないのか愛車で越えてみることにしました。

植木-山鹿サイクルロードを山鹿方面から南下、途中で田原坂公園方面に脱線するルート。
約52km。

田原坂簡単な説明。田原坂資料館のパンフレットに書いてある内容記載。
たー歴史に疎かったです。

http://www.museum.pref.kumamoto.jp/link/museum/north/ueki.html

熊本は歴史の分岐点(?)が多く、史跡をまわるのも楽しいものです。

熊本城は戦国の名将 加藤清正が築いた城で、薩摩を抑え、全九州ににらみをきかす役目の城であった。城の南側には自然の要塞白川があり、北側は遠く植木町まで続く大地で囲まれ、田原坂はその北の端の要害であった。加藤清正はこの坂までの約15kmを道を深く掘りこんだ凹道とし、途中の向坂や田原坂を城北防衛の要地としていた。凹道は戦略的に道の両脇に土手を積み上げた道で、この土手の後ろに隠れて通過する敵を攻撃するようになっていた。

平地との標高差はわずか60~70mと一見平凡に見えるこの坂の攻防を巡って、明治十三年三月四日から三月二十日までの十七日昼夜 西南の役最大の激戦「田原坂の戦い」が行われた。

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当時田原坂は高瀬(今の玉名ですね。)より熊本に通じ、大砲や荷馬車の通過できる唯一の道であり、薩摩軍はここに陣地を設け、官軍の南下を阻止した。

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田原坂は一の坂、二の坂、三の坂と分けて呼ばれる。
一の坂・・・鬱蒼とした木々に囲まれた道で険しい勾配の上に前方の視界を遮るす鉤(カギ)型の坂道
二の坂・・・比較的勾配のゆるやかな坂
三の坂・・・道の東側は土手であるが、西側は田原坂頂上に陣を張る薩摩軍からみて正面にせり出した舞台のよう・・・

標高差80m、全長1.5km。

さて、攻略開始。

豊岡眼鏡橋 ここが開始地点
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入口
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一の坂立て看板と愛車
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きつい坂で上れませんでした。屈辱ですが一の坂 途中で自転車降りて押してあがります。_| ̄|〇
この道で昔の人は大砲運んだとは・・・

噂の凹道。両脇から襲うらしい。確かにこれで狙われたら怖い。

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二の坂立て看板と愛車
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ここは緩やか。

ミカン畑

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三の坂立て看板と愛車
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ここ心霊スポットとしても有名です。確かにここ夜は怖くて通れない。(((゚Д゚)))

GOAL 田原坂公園
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桜とつつじがきれいだそうです。

田原坂資料館横の土蔵。
銃弾の跡で、壁が大変なことになってます。
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土蔵の横には田原坂資料館があります。
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ここにも「くまもん」がいます。
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空中かち合い弾。空中で銃弾がぶつかりあって一つになった。
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この周囲は慰霊碑がたくさんあります。
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自転車ログマップを作ってみました。

https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=210557548506524910668.0004cba20b33974b2f295&msa=0&ll=32.970076,130.597229&spn=0.205655,0.318604

でついでに歴史のお勉強。
レンタルDVDでどうぞ。
思わず見入ってしまった。
大作です。

「田原坂」
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最後のナレータの言葉が印象的。

「薩軍戦死者 6765人 政府軍6843人 
悲壮な見方をすれば13608人を道連れに、明治維新が抱えたあらゆる矛盾を飲み込んで死んでいったのが西郷隆盛 その人ではなかっただろうか。」


九州新幹線開通のときにこんな話題ありました。
http://www.47news.jp/news/2010/10/post_20101001183904.html

熊本からみると西郷さんは西南戦争の折、熊本城を攻め込んだ「侵略者」のイメージが強いらしくて新幹線のカウントダウンボードのキャラとしてはそぐわないので「西郷どーん」→「くまもん」に変えたという話題。

西郷さん 新幹線でも熊本は落とせなかったか・・・

県外出身者からみると面白い話題。


ついでにおまけ
夜の熊本城 なかなか良い感じです。
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みずあかり。

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みずあかりと田原坂 光と影、平和と悲しみの二面性。(ちょっと強引か?(^^; )
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今回も読んでいただきありがとうございました。
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